皆様のご声援のおかげでここまで来ることができ、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
スタッフ一同、厚く御礼申し上げます。
By Operetta Due

発売一日前SS 幸の場合
『残り一回、ラストチャンス』 著:松竹梅

 玲人さんに捨てられた日、私は輝さんに拾われた。
 怒涛の展開のせいか、まだ頭がぼんやりしている。彼の家へと案内されている間は、ずっと夢の中を歩いている心地だった。
 そんなふうに、ただでさえ現実感がなかったのに、
「ほら、あの角を曲がるよ。心の準備はいい?」
 サーカスにでも誘う口調で楽しげに言われ、さらに認識がおかしくなる。ただの雨に濡れた住宅街なのに、輝さんが指し示すと特別な場所が待っているように感じてしまう。
 そのくらい、彼は不思議な人だった。私みたいな濡れ鼠でも、ちゃんと女の子扱いしてくれる。
 けれど褒められるごとに現実感が遠のいていくのは、どうしてなのだろう。
 彼が綺麗すぎるせいなのか、琥珀色の瞳の奥がたまに笑っていないように見えるからなのか……。
「本当に、私をお家に案内してくれるんですね」
 一つ目の角を曲がった時、彼がポケットを探ったのが見えた。音からして、たぶん鍵を確認したのだと思う。つまり、彼の家の近くに来たということになる。
「……君は本当に興味深い」
 ここに辿りつくまで、何度か聞いた台詞だった。別に面白いことを言っているつもりはなかったから、私もまた、今日何度目かわからない問う目を向けた。
 さっきポケットを探っていた彼の手が、私の喉元に触れる。気温のせいか、やけに冷たい。
 唐突な行動に驚いて短く息を吸うと、彼はくすりと笑い、あえて抑えたような声で聞いてきた。
「鍵じゃなくて、ナイフとかそういう類の金属だとは思わなかったの? 君を脅して、どこかで襲うつもりだったのかもしれないよ?」
 出会った時にも思ったけれど、彼はやっぱり人の内心を読むのが上手い。私が「鍵」と予想したのを察して、それに応えたのだろう。
「貴方なら脅すまでもなく、私を騙せそうだから」
「だから安心してるんだ? はは、君は用心深いんだか、騙されやすいんだか、わからない子だな。そんなところもまた……」
 その時、私たちの横を一台の車が通った。騒音のせいで、彼の声が途中から聞こえなくなる。ただ、五文字の言葉を言われたのだというのはわかった。
「ごめんなさい、今なんて……」
 聞き返すと、彼はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
 悪いことではなさそうだけれど、少し気になる。これでもない、あれでもない、と頭の中で五文字の言葉を並べていたら、もう一度彼の腕が上がった。
 伸ばされた腕の先を見た瞬間、言いようのない緊張感が足先から這いのぼってきた。
「さあ。そこの角を曲がったら、答えがあるよ」

 残り一回。ラストチャンス――最後の曲がり角でのこと。
 私の中の天秤が傾く音を、聴いていた。



発売二日前SS 輝の場合
『二回、曲がるのは』 著:松竹梅

 昔世話になった人の墓参りに行った日、雨が降っていた。墓石を洗わなくても済むくらいの、どしゃ降りだ。一応磨いてはきたが、明朝からは風が強くなると天気予報でいっていたから、グレーの庵治石はまた埃にまみれてしまうだろう。
 そんな予想をしながら歩いていた帰り道で、面白い拾いものをした。
「濡れるから、こっちにおいで」
 ついさっきまでは『見ず知らず』の間柄だった女性の肩を抱く。
 元々ずぶ濡れだった彼女の肩はずいぶんと湿っていて、やぼったいパーカーの上からでもわかるくらい冷たくなっていた。
「で、でも、もう濡れてますし……」
 同じ傘の下というごく狭い空間で、彼女は身の置き所が無さそうに目を伏せる。そうすると長い睫の先に残っていた雨粒が落ちて、青ざめた頬を伝った。
 見つめる内に、このふっくらとした頬を赤くしてみたいな、と衝動的に思う。肌を舐ったら、きっと綺麗に染まる。
 肩に添えた手に力を込めると、大きな黒い瞳が驚いたふうに瞬いた。
「ほ、本当に大丈夫ですから」
「大丈夫じゃない。女の子なんだから、体を冷やしたら駄目だよ」
「……こんな状態でも女の子扱い、してくれるんですね」
「どんな状態でも、女の子は女の子だよ」
 苦笑する彼女は、自分が可愛いとは微塵も思っていないのだろう。照れた様子もなく、ただ「気遣ってくださって、有難うございます」とだけ言った。
 その弱々しい声に微笑で返しながら、心の内では舌なめずりをする。細めた目で、彼女の頭の上からつま先までをさりげなく観察した。
 色あせたジーンズに包まれた脚は細すぎず、太すぎず、ほどよい肉づき。胸はたぶん……EからFカップくらいといったところか。雨に濡れ、服が肌に張りついているから、くびれた腰のラインもわかる。――端的いえば、かなりいい体をしている。しかも、顔がものすごく好みだ。
 なにより気に入っているのは……
「お家、この近くなんですね」
「どうしてそう思ったの?」
「朝の予報では、雨は降らないって言ってたから。午後のニュースを見てから外出したのかなって。あ、コンビニで買ったとかも、あるかもしれませんけど……」
「ああ、なるほど。歩きで、しかも傘を持ってるから、この近くに家があるんじゃないかと思ったわけだ」
 彼女は、意外と賢い。元カレに騙されるくらいお人好しで、馬鹿がつくほど純粋に他者を信じてしまうのに、一方では冷静に考えている。恐らく誰かを信じたい、と思った時限定で判断力が鈍るのだろう。人としては間違ってはいないのかもしれないが、生きていく上では酷く不器用でアンバランスだ。けれど、それが面白い。
 復讐というゲームを始める以上、相棒が馬鹿では困る。かといって賢すぎてもこちらの裏を読まれるから、彼女の性格は実に丁度良かった。
「えっと、はずれてましたか?」
 興味深く観察していたら、少し間が空いてしまっていたらしい。不安そうに見上げてきた彼女は、計算ではない可愛さで小首を傾げた。
「あと二回角を曲がったら、正解がわかるよ」
 ふざけて答えると、彼女の眉が困ったように寄る。
 素直な反応が可愛くて、もっとイジメたくなった。
「ちょっと待って」
「なんですか?」
「そこに大きな水たまりがあるから、この傘を持っていてくれないかな」
 肝心の目的を言わずに傘の柄を差し出すと、彼女は不思議そうにしながらも受け取ってくれた。
 それから考える間を与えず、彼女の膝裏と背に腕を回し、ひょいと抱え上げた。
「なっ、なにしてるんですか!?」
「こんな深い水たまり、ざぶざぶ歩いていったら風邪ひいちゃうでしょ?」
「だから、もう濡れてると……」
「ほら、君がちゃんと傘をさしていないと、僕まで濡れちゃう」
「あ、ご、ごめんなさい」
 最初は緊張で強張っていた体から、徐々に力が抜けていく。彼女は真剣な顔で傘をさし、じっと腕の中におさまっていてくれた。
「……輝さんは、変わってますね」
「君もね」
 笑いながら、水たまりを越えたところで彼女を下ろす。そしてクイズ番組の司会者さながらの陽気さで、道の先を指さした。
「ほら、あの角を曲がるよ。心の準備はいい?」

 あと二回。角を曲がれば、彼女の人生も曲がる。



発売三日前SS 玲人の場合
『三段飛ばしで』 著:松竹梅

 なんだか足が痺れている。そうは思ったが、思考も体も重く沈んでいるようで、動くのが難しかった。どうやら俺は、ただぼうっと、彼女――元婚約者が出ていった後の玄関を眺めているらしい。足が痺れているのは、たぶんずっと立っているせいだ。
(たぶん……?)
 自分のことなのに、現状把握すら億劫でままならない。
 しばらくして、やっとのことで項垂れる。その首を曲げるだけの動作にも、だるさがつきまとう。放っておくと、膨れ上がる虚無感が胸に穴をあける気がして、俺はシャツの前を掻き合わせた。彼女が出て行っただけなのに、やたらと寒い。
 幻の寒気に苛まれ、どんどん呼吸が荒くなってくる。やがて酸欠を覚えるほどになり、俺は胸苦しさを吐き出すために叫んだ。
「やった、やったぞ……俺は捨ててやった! 捨ててやったんだ!」
 勝ちどきを上げるように、腹からの声を出す。近所迷惑だろうがなんだろうが、知ったことか。
 意味もなく拳を上下させ、また叫ぶ。笑う。それを繰り返す。
「ははっ! あははっ! あー……ははっ、は……。……」
 ついには引き笑いすら出なくなった。ふらつきながら部屋の中に戻り、床の上に膝をつく。
 おかしな話だが、笑いがおさまったら顔面が崩れてしまったのではと心配になった。表情筋をうまく動かせない。あんなに仮面を被るのを得意としていたのに。
「鏡……」
 薬を求めるように鏡を求め、引き出しの中を荒らす。
 よく磨かれた鏡面を表にすれば、真っ青で、生気のない顔が映った。
「どうした、順調に進んでるはずだろ。笑わないとだめじゃないか」
 俺の人生は、愉快なほど計画通りに進んでいる。あらゆる者を利用し、奪い、踏みつけてきたおかげだ。そのかいあって、あと少しで目標が達成できる。
「もう少しなんだ……、もう少し……」
 会社でも「一段どころか、三段飛ばしくらいで出世している」と羨ましがられた。その賞賛の声を思い出し、ぐらつく心を立て直す。
「そうだ、もっと思い出せ、篠原玲人。この人生の意味は、一つしかないだろう」
 鏡面に爪を立て、情けない顔をした男を睨む。それからゆっくりと深呼吸をして、気分が落ち着くのを待った。
 けれど、見れば見るほど腹が立ってくる。数分もしない内に苛立ちがおさえきれなくなり、床に鏡を叩きつけた。
「っ、ひっ、ははっ、あははっ……あはははははっ!」
 ガラスが割れる音と、引きつった笑い声がリビングに響く。
 また意味もなく拳を握れば、真っ赤な何かが床を汚していった。生ぬるく、少し粘質を伴う液体だ。ぼたぼたと勢いよく落ちて、白い靴下にもシミを作る。
 ……ああ、馬鹿みたいに怪我をしてしまった。そう悟った瞬間、拳から力が抜けた。だらりと両腕をたらし、口を半開きにしたまま座り込む。
「間違ってない……。俺は間違ってない。彼女と別れたのは正解だったんだ」
 ほぼ無意識で呟いていたから、数分後に痛みで我に返った時は、また笑いたくなった。
 俺は一体、誰に言い訳をしているのだろう。
 愉快な気分で顔の半分を覆い、割れた鏡の中の男を嘲笑ってやった。
 こんな男に赤い血なんて不要なのに、だらだらとみっともなく流して、まだ人間であろうとしている。なんて無様なんだ。
「全部、抜け落ちればいいんだ。こんな弱さ、捨ててやる」

 本当に、他社員の言う通りだ。
 ――三段飛ばしで、地獄へと転がり落ちている。


2014.11.03
カウントダウンSS更新

2014.10.30
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2014.10.29
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2014.10.28
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2014.10.24
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